ごましおです。
仕事の合間の休憩中にふと目にした新聞のコラムにちょっと感動した話。
異なる国のことを理解するためには、その国の人の心を理解してこそですね。
地震に関するコラムでした。
そのコラムはこちら。
韓国の朝鮮日報電子版の日本語で書かれたコラムです。
日本各地で夕方の決められた時間に童謡などが流れる「防災無線」についての内容です。
このコラムを書いたのは朝鮮日報の東京支局長である成好哲(ソン・ホチョル)さん。

平成26年から1年間、慶応義塾大学メディア・コミュニケーション研究所で訪問研究員を経験しているそうです。
村上春樹が好きな韓国の人って結構多いらしいですが、まあ知日家の新聞記者というところでしょうか。
そんな彼も初めて「防災無線」の音楽を聴いた時には、違和感を感じたそうです。
最初は軍国主義の残滓(ざんし)ではないかと誤解していた。一日の任務の終了を意味する、軍隊の国旗下降式を連想したからだ。祝日でも例外なく、365日毎日同じ時刻に公共のスピーカーから時報の音楽を流す理由などどこにもないと思い込んでいたからだ。
「軍国主義の残滓(ざんし)」という表現がいかにも韓国っぽくて面白い。
事実を淡々と、でも。
この時報メロディーは2011年3月11日、日本中から消えた。約2万2000人の死者・行方不明者を出した東日本巨大地震が起きたこの日、防災スピーカーからは住民たちに津波警報や避難指示、余震の危険などの災害関連情報が伝えられた。宮城県のような地震発生地域だけでなく、震災の被害とは無縁だった日本列島の他の地域も哀悼の意から時報メロディーを止めた。東京では東日本巨大地震の1-2か月後に時報メロディーの放送が再開された。ある知人は「メロディーが再び鳴った時、涙が出た。地震のない平凡な日常生活を取り戻したという『希望のシグナル』だった」と言った。
事実を淡々と述べていながら、日本に対する、日本人の「心情」に対する深い理解がある文章だと思いました。
平和な時間は、それを失って初めて気が付く。
何気ない日常の消失と、それを回復した時の感動が短くまとめられた素晴らしい文章です。
筆者はコラムに最後をこんな文章で締めくくっています。
あたりまえの一日が無事に終わることがどれほど貴重なことなのか、私たちは忘れていないだろうか。今日も午後5時、いつもの『夕焼け小焼け』のメロディーを聞きながら、日本人のあたりまえの日常生活が壊されないよう祈っている。
んー、いい文章ですね^^
YOUTUBEで聞いてみた!
このコラムを読んでみて気になったので「防災無線」の音楽を聴いてみました。
私が生まれ育った地元では、このコラムと同じように「夕焼け小焼け」が流されていました。
その音楽に「よい子の皆さん、もうすぐ日が暮れます。車に気を付けておうちに帰りましょう!」という声が載せられています。
かなり久しぶりに聞きましたが、懐かしくてちょっとウルウルw
大人になると防災無線の音楽が流れる時間に家に帰れないですからね。
他の町の防災無線も聞いてい見ましたが、同じ「夕焼け小焼け」を流していても全然違います。
ぜひ自分が生まれ育った町の防災無線をYOUTUBEで探して聞いてみてください。
結構懐かしくてよいものですよ。
「防災行政無線チャイム 〇〇市」とかで検索すると見つかるかもしれません。
他国を理解する難しさ。
日本と韓国は隣国ですし悲惨な歴史もありますし、まだまだ関係は複雑です。
お互いを理解しあうのって難しいですよね。
自分の立場ばかり主張して相手の話を聞かないと相互の理解は進みません。
真の理解というのは相手の心を理解すること。
何を楽しいと感じ何を悲しいと感じるのか?
それを相手と同じように感じることができれば、きっと相互理解がすすむのではないでしょうか?
なんかそんなことを考えさせられたコラムでした。
どうぞ1度読んでみてください!

鹿児島県で地震が多発していますが、一日も早く収まって不安なく暮らせるようになってほしいですね。
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