最近の「NISA貧乏」に感じる、ちょっとした違和感の正体

資産運用の考え方
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ごましおです。

最近よく耳にする言葉に「NISA貧乏」があります。

生活費を削ってでも新NISAの非課税枠を埋めようとする。
その結果、手元資金が減り、生活が苦しくなる――。
これがいわゆる「NISA貧乏」でしょう。

この言葉をめぐっては、ネット上でさまざまな意見が飛び交っています。
ただ、それらを見ていて、私はある違和感を覚えます。

それは、「株価は上がり続けるものだ」という前提で話が進んでいないか、という点です。

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国会でも取り上げられる異常さ

株価が上昇し、多くの人が利益を得ると、投資関連のニュースや番組が増えていきます。
それまで投資に興味のなかった人たちも、それをきっかけに市場へ参加し始めます。

その流れがさらに株価を押し上げる――。
いわば好循環です。

「NISA貧乏」という言葉からは、上昇に乗り遅れた焦りから、無理をして投資に資金を入れている姿が連想されます。

そして今、それが問題として取り上げられ、国会でも議論されている。
この状況は、どこか行き過ぎているように感じませんか?

「現金は危険」という空気

株価が上昇してくると、ネットでは「預貯金だけでは危険だ」という声が目立つようになります。

投資に興味のない人の多くは、資産の大半を預貯金で持っているはずです。
そんな人たちに対して、

「預貯金は日本円への全力投資だから危険だ」

といった極端な意見が飛び交っています。

上昇する株価を見れば、「このままでは取り残されるかもしれない」という恐怖が生まれます。
この心理こそが、「NISA貧乏」の引き金になっているのではないでしょうか。

現金こそが安全だった!

私が本格的に株式投資を始めたのは約15年前。
ちょうどリーマンショックの最中でした。

あのときは、株も債券も、さらには金でさえ売り込まれました。
未曾有の危機の中で、安全とされたのは「現金」だったのです。

人々は恐怖から、あらゆる金融資産を手放し、現金を求めました。

つまり、「何が安全か」は状況によって簡単に変わるということです。

真の暴落時に起きること

好調な相場では、ニュースも世間の会話も投資を後押しします。
株を買うことが「当たり前」になります。

しかし、ひとたび暴落が起きるとどうなるのか。

報じられるのは株価下落のニュースばかり。
投資の話題は一気に消え、代わりに悲観論が広がります。

「世界経済は終わる」
「資本主義は間違いだった」
「もう株価は上がらない」

こうした声が増えていくときこそ、本当の暴落です。

それまで背中を押してくれていた空気は、一瞬で逆風に変わります。
しかも、その強さは比較になりません。

その中で、生活費を削ってまで投資を続けられる人がどれほどいるでしょうか。

逃げ遅れた恐怖!

投資をしないことで感じる「取り残される恐怖」。
そして、暴落時に感じる「逃げ遅れる恐怖」。

どちらが強いかは明らかです。
それは後者です。

人は「得られなかった利益」よりも「実際の損失」に強く反応する生き物です。

だからこそ、上昇相場で広がる「買え」という空気は、下落局面では簡単に「売れ」に変わります。

その時、NISA貧乏に陥っている人が、果たして株を売らずにいられるのでしょうか?

私が感じる違和感の正体

冒頭に取り上げた動画などを見ていて、私が感じる違和感正体はシンプルです。

多くの議論が、「株価は今後も上昇し続ける」という前提に立っていることです。

新NISAの枠を急いで埋めようとする心理の裏にも、その前提が透けて見えます。
そして、その前提自体を疑う声がほとんどない。

そこに強い違和感を覚えます。

暴落は必ず来る

これまで何度も書いてきましたが、株価は必ず大きく下げる局面が訪れます。

2025年春の下落もありましたが、あれは本格的な暴落とは言えません。

コロナショック以降、市場は比較的恵まれた環境が続いてきました。
しかし、それが崩れるのは一瞬です。

今起きている紛争が、その引き金にならないといいんですけどね。

ごましお
ごましお

リーマンショック発生から17年が過ぎました。
「治に居て乱を忘れず」
この言葉を、いまこそ意識しておきたいですね。

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